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2009-08-14

一切衆生は必堕無間なのか6

親鸞聖人は大部な御著書である『教行信証』全体の実に1割を、信巻の中でも4割近くも費やして、阿闍世の回心から続く五逆罪、謗法罪を造った者の救いに関して解説をなされているのです。
これはそれだけ、阿弥陀仏の18願にある「唯除五逆誹謗正法」が、如何に重い内容であるかの表われでもあります。
その信巻の最後に書かれたのが五逆罪の定義についてです。


一つには三乗の五逆なり。いわく、一つにはことさらに思いて父を殺す、二つにはことさらに思いて母を殺す、三つにはことさらに思いて羅漢を殺す、四つには倒見して和合僧を破す、五つには悪心をもって仏身より血を出だす。


最初に三乗の五逆罪(通仏教の五逆罪)について、
 一.故意に父を殺す
 二.故意に母を殺す
 三.故意に阿羅漢を殺す
 四.間違った考えを起こして教団を乱す
 五.悪い心を抱いて仏身を傷つけて血を流す

と仰っています。
阿闍世が犯したのは、一番目の故意に父を殺すことです。あくまで故意にですから、極めて限定された人しか造らない罪です。
曇鸞大師、善導大師が仰っておられる五逆罪は、これです。また、法然上人が「正如房へ遣わす御文」に、


五逆十悪の重き罪造りたる悪人なお十声一声の念仏によりて往生しそうらわんに、まして罪造らせおわします御事は何事かそうろうべき。
たといそうろうべきにても幾程の事かはそうろうべき。
この『経』に説かれてそうろう罪人にはいい比ぶべくやはそうろう。



と書いておられます。「五逆十悪の重き罪造りたる悪人」と比較して、貴方はどんな罪を造っているというのか、と仰っておられますので、罪を造っているという点において、人には明らかな優劣があることを語られたのです。それで五逆罪を造っている人と、造っていない人がいることになりまして、法然上人も五逆罪といわれた場合は、三乗の五逆罪のことになります。

今日でも五逆罪と言えば、通常この五逆罪のことをさしてます。親鸞会でも五逆罪といえば、この三乗の五逆罪を説明します。
『教行信証』信巻ではこの後、


この逆を執する者は、身壊れ命終えて、必定して無間地獄に堕して、一大劫の中に無間の苦を受けん、「無間業」と名づくと。


と解説なされています。三乗の五逆罪を造ったものは、無間地獄に堕ちると教えられていますが、実際にこの罪を造っている人は、極めて稀ですので、無間地獄に堕ちる人も、極めて少数の人になります。

それに対して親鸞聖人は、敢てもう一つの五逆罪について挙げておられます。


二つには大乗の五逆なり。『薩遮尼乾子経』に説くがごとし。一つには、塔を破壊し経蔵を焚焼する、および三宝の財物を盗用する。二つには、三乗の法を謗りて聖教にあらずと言うて、障破留難し、隠蔽覆蔵する。三つには、一切出家の人、もしは戒・無戒・破戒のものを打罵し呵責して、過を説き禁閉し、還俗せしめ、駆使債調し断命せしむる。四つには、父を殺し、母を害し、仏身より血を出だし、和合僧を破し、阿羅漢を殺すなり。五つには、謗じて因果なく、長夜に常に十不善業を行ずるなり、と。


もう1つが大乗の五逆罪と呼ばれるもので、『大薩遮尼乾子所説経』から引用しておられます。

 一. 仏塔を壊し、経典を焼き、三宝を盗む
 二.声聞・縁覚・菩薩の教えを謗って仏教でないといい、仏教の布教を妨げ、危難を加え、仏法の光を覆い隠し弘まらないようにする
 三.持戒・無戒・破戒にかかわらず、すべての出家した人に対して、罵り打って苦しめ、過失を並べ立てて閉じ込め、還俗させて、かりたてて使い、重税を課して命を絶つところまで追い込む
 四.父を殺し、母を害し、仏のからだを傷つけて血を流し、教団の和を乱し、阿羅漢を殺す
 五.因果の道理を否定して、常に十悪の罪を犯す

三乗の五逆罪を四番目にまとめて、謗法罪と十悪を含めたものとなっています。三乗の五逆罪を造ったならば、どんな悪報がくるのかについて親鸞聖人は説明をされましたが、大乗の五逆罪には、それがありません。三乗の五逆罪と重複するところがあるとしても、違う部分が四項目もありますので、悪報は三乗の五逆罪とかなり異なる筈です。
なお、親鸞会では大乗の五逆罪について教えられたことは一度もないようです。

では親鸞聖人がこのように先師方が用いられなかった大乗の五逆罪を紹介されているのは、どのような御心なのでしょうか。

これにも様々な説がありますが、阿闍世の物語から曇鸞大師、善導大師、法然上人の五逆、謗法の解釈を踏まえると二つの理由が考えられます。

一つ目は、前回述べました『大無量寿経』の阿弥陀仏の18願で除かれて、どの経典にも救いが説かれていない謗法罪を造った人の救われる根拠を、経典上で示されるためであったと思われます。謗法罪を造った人が救われると教えられた明確な根拠は善導大師の『法事讃』にある


謗法闡提、回心すれば皆往く


だけですので、聖道仏教の人にも通じる根拠の必要性を感じられてのことでしょう。
救われた阿闍世が造った五逆罪、『観無量寿経』に説かれている五逆罪の救いに、謗法罪を含められることで、謗法罪を造った者の救いを証明されたのです。

もう一つは、三乗の五逆罪と謗法罪では、前回述べましたように、大多数の人はこの二つの罪を造っていないことになります。すると邪見で自惚れ強い我々は、阿弥陀仏の18願は自分たちよりも下の者のために建てられた本願であり、自分は自力修善をすれば助かるのだという迷った心を起こしますので、それを正されるためと考えられます。
それで、十方衆生が造っていると自覚できる十悪を含めた大乗の五逆罪を挙げておられるのです。阿闍世を最下の者と見下すのではなく、我々も同類であり、さるべき業縁の催せば如何なる振る舞いもすべき本性はかわらない、つまりは全ての人は阿闍世同様の五逆の者であり、善人と思い込んでいる人も阿弥陀仏の18願によらなければ救われないことを明らかにされるためであったのでしょう。
大乗の五逆罪を造った悪報について説明をされていない理由も、この当たりにあるのではないでしょうか。

まとめると、通仏教でいう五逆罪に謗法罪を含めることで、謗法罪の人が救われることを明らかにされ、十悪を含めることで十方衆生は18願でしか救われないことを明言されたということです。

この二つの理由を念頭において改めて前回、前々回に紹介した経典、聖教を読み返されれば、十悪、五逆、謗法を並べられて仰ったことと、謗法、十悪を含めた大乗の五逆罪とは、同時に成り立たない解釈になることが判られると思います。親鸞聖人がそれに気が付かれていない筈がありません。
実際親鸞聖人は、三乗の五逆ではなく大乗の五逆罪を採用しなさいとは仰っていません。
当然矛盾をすべてご承知の上で、親鸞聖人が敢て大乗の五逆罪を紹介された御心をよくよく理解しなければならないでしょう。

それを知ってか知らずか、「必堕無間」の悪報だけは、大乗の五逆罪的な解釈で「一切衆生」のことだとし、阿弥陀仏に救われるには、五逆謗法は通仏教の解釈をした、修善に励まなければならないという迷った考えを、都合良く取り上げている人物の頭の中はどうなっているのか?
根拠は断章取義、理論は竜頭蛇尾の教義が、親鸞聖人の教えと相容れないことは、これで十分お判り頂けると思います。
「一切衆生必堕無間」と「善の勧め」が、どんな目的で誰のために教えられているのか、親鸞会会員の皆さんは真剣に考えて頂きたいと願うばかりです。

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No title

> 「五逆十悪の重き罪造りたる悪人」と比較して、貴方はどんな罪を造って
> いるというのか、と仰っておられますので、罪を造っているという点に
> おいて、人には明らかな優劣があることを語られたのです。

そうだとすれば、なぜここで
「実際にこの罪を造っている人は、極めて稀」である三乗の五逆と
「十方衆生が造っていると自覚できる」十悪を並べているのでしょうか。
論旨が一貫しない様に感じます。

Re: No title

御質問、有難うございます。
このような御質問が出てきて当然であります。

仏教は対機説法が多々あります。阿闍世に対して釈尊が仰ったお言葉と、法然上人のお言葉は共通するところがあると思います。五逆罪で無間地獄に堕ちることを恐れている阿闍世を、釈尊は励ましておられます。三乗の五逆罪は無間業と説かれながら、阿闍世に対しては無間地獄に堕ちる罪ではないとまで仰っておられます。
法然上人のお言葉も、過剰な罪悪感で苦しむ人に対しての励ましです。もちろん五逆罪については、「偏依善導」と仰ったように、法然上人も、五逆罪を造っている人と造っていない人に分けて解釈されたお言葉です。
以前にも申しましたが、仏教はプラス思考です。マイナス思考の人に対してはプラス思考になるように説かれます。しかしながら、邪見で自惚れてしまっている人に対しては、その邪見を正す必要があります。
善人と自惚れている人には、理論的に十悪を説かれることで、自分も十悪の者と自覚できる範囲内にあります。もちろんそれでも自分は十悪をしない善人であると思って、聖道仏教から離れられない人もあるでしょう。
一方で自分は極悪人と極度に落ち込んでいる人には、プラスに向かわせるための方便も必要になります。
そのように御理解頂ければよろしいかと思います。
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