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2009-08-22

善知識には無条件服従しなけらばならないのか 1

親鸞会教義の中で、「一切衆生必堕無間」と並んでカルト性の高いものは、「善知識への無条件服従」です。信前の者は、信後の世界が分からないし、どのような道を通るのかも分からないので、善知識と呼ばれる他力信心を獲ていて教学力、指導力のあるリーダーの指示に無条件服従していかなければ、絶対に信心決定できないという、親鸞会独特の教義です。

カルトといわれる宗教団体は、ほぼ間違い無くこれと同様の教義を持っています。

では、浄土真宗では本当にそのようなカルト的な教義があるのでしょうか。

親鸞会によれば、善知識への無条件服従が信心決定するには必ず必要であるとする根拠は、蓮如上人の『御一代記聞書』にあります。


善知識の仰せなりとも成るまじきなんど思うは、大きなるあさましきことなり。なにたる事なりとも、仰せならばなるべきと、存ずべし。此の凡夫の身が仏になるうえは、さてなるまじきと存ずること、あるべきか。しかれば、「『道宗、近江の湖を一人してうめよ』と、仰せ候うとも、『畏まりたる』と、申すべく候う。仰せにて候わば、ならぬこと、あるべきか」と、申され候う。(百九十二)


です。蓮如上人はこのように仰っているのだから、善知識から近江の湖(琵琶湖)を一人で埋めてこいといわれれば、躊躇無く、疑い無く従わなければ信心決定できないのだと親鸞会では教えています。
しかし、これが本当に正しい解釈なのでしょうか。

以下、歴史学的観点から史料を分析します。

まず、『御一代記聞書』とは、蓮如上人78才の時に生れた実悟法師が、蓮如上人の言行録(空善著『空善記』、蓮悟著『蓮如上人御物語次第』、実悟著『実悟旧記』)を抄出し再編集したものとされています。あるいは実悟法師の子顕悟法師の編という説もあります。

さて、この『御一代記聞書』にある文章は大きく分けて4通りに分けることができます。

1.蓮如上人の直のお言葉
2.蓮如上人のお言葉の聞き書き
4.実如上人、法敬、道宗等の言葉
3.著者もしくは発言者不明の言葉

1番目は、『御文章』の引用です。たとえば、


然れば、『御文』には、『一心一向に、仏、たすけたまえと申さん衆生をば、たとい罪業は深重なりとも、かならず、弥陀如来はすくいましますべし。これ、すなわち、第十八の念仏往生の誓願の意なり』と云えり。(百八十五)


は、『御文章』をそのまま引用していますので、間違い無く、蓮如上人のお言葉です。

2番目は、蓮如上人の仰ったことを聞いていた人の記録か、又聞きをして記したものです。
前々住上人とは、蓮如上人のことです。たとえば、


蓮如上人、仰せられ候う。「物をいえいえ」と、仰せられ候う。「物をいわぬ者は、おそろしき」と、仰せられ候う。「信不信、ともに、ただ、物をいえ」と、仰せられ候う。「物を申せば、心底もきこえ、又、人にもなおさるるなり。ただ、物を申せ」と、仰せられ候う由候う。(八十七)

前々住上人、その時、仰せられ候う。「それは、不思議にてもなきなり。仏の、仏に御なり候うは、不思議にてもなく候う。悪凡夫の、弥陀をたのむ一念にて、仏になるこそ不思議よ」と、仰せられ候うなり。(七十八)


などです。また主語はありませんが、


大津近松殿に対しまして仰せられ候。信心をよく決定して、ひとにもとらせよと、仰せ候ひき。(十五)


これも蓮如上人のお言葉として書かれています。これらは必ず「仰せられ」と尊敬語を使用しています。
この2番目については、聞き間違いや又聞きによる伝達上の誤りの可能性もありますので、1番目の蓮如上人の直のお言葉に比べると、間違いない蓮如上人のお言葉という断定はできません。

3番目は、それぞれの発言者の名前を出して書かれています。前住上人とは、蓮如上人の後、本願寺を継がれた実如上人のことです。


前住上人、仰せられ候う。「前々住より御相続の義は、別義なきなり。ただ弥陀たのむ一念の義よりほか、別義なく候う。これよりほか、御存知なく候う。いかようの御誓言もあるべき」由、仰せられ候う。(八十五)

法敬坊、九十まで存命そうろう。「このとしまで聴聞もうしそうらえども、これまでと存知たることなし。あきたりもなきことなり」と、もうしそうろう。(四十七)

道宗は、「ただ、一つの御詞を、いつも聴聞申すが、初めたるように、有り難き」由、申され候う。(百三十一)


これらがそうです。実如上人には名前と「仰せられ」という尊敬語を、他の人は名前と「申され」という謙譲語を使ってありますので、分かりやすいです。実如上人にも尊敬語が使われていますので、蓮如上人と間違いやすいですが、実如上人の場合は、主語がはっきりと書かれてありますので、それで区別できます。

以上1番目から3番目までは発言者の名前がはっきりわかりますので、聞き間違い等があるとしても、著者は自信を持ってその人の発言として書いたと思われます。

問題は4番目です。たとえば、


教化するひと、まず信心をよく決定して、そのうえにて聖教をよみかたらば、きくひとも信をとるべし。(十三)

無生の生とは、極楽の生は三界をへめぐるこころにてあらざれば、極楽の生は無生の生というなり。(三十六)


は、発言者の名前がなく、「仰せられ」「申され」と書かれてありませんので、普通に解釈すれば著者の言葉です。これらも蓮如上人のお言葉と親鸞会では解釈していますが本当にそう言い切れるでしょうか。少なくとも、蓮如上人のお言葉を正確に伝えている可能性は、1番目、2番目よりも格段に落ちます。

少し話は逸れますが、次の有名な文章では、


他流には、「名号より絵像、絵像よりは木像」と、云うなり。当流には、「木像よりは絵像、絵像よりは名号」と、いうなり。(七十)


と発言者の名前がありません。「仰せられ候」とも書かれてありません。親鸞会では、これが蓮如上人のお言葉として、御本尊は名号に限る、と声高らかに主張していますが、蓮如上人が御本尊を木像、絵像にされたこともある歴史的事実を見れば、ここは蓮如上人のお言葉ではなく、著者の言葉である可能性が非常に高いことになります。伝承を書いたのかもしれませんが、蓮如上人の真意を誤って記していることも十分にあり得ます。

以上のことを踏まえて、善知識への無条件服従の根拠である


善知識の仰せなりとも成るまじきなんど思うは、大きなるあさましきことなり。なにたる事なりとも、仰せならばなるべきと、存ずべし。此の凡夫の身が仏になるうえは、さてなるまじきと存ずること、あるべきか。しかれば、「『道宗、近江の湖を一人してうめよ』と、仰せ候うとも、『畏まりたる』と、申すべく候う。仰せにて候わば、ならぬこと、あるべきか」と、申され候う。


をみると、前半の3つの文は、発言者の名前もなく、「仰せられ」とも「申され」とも書かれてありません。最後の文は、「申され候」とありますので道宗の言葉です。
この文章を先入観を無くして読んでみて下さい。著者が、自分の意見を述べているのだと感じられると思います。
ここには蓮如上人のお言葉と考えられる文が1つもないのです。
つまり、この文章をもって蓮如上人が「善知識に無条件服従せよ」と仰った根拠とは、ならないのです。

一方、蓮如上人のお言葉で間違いのない『御文章』で善知識に対する姿勢をみると、


またあるひとのことばにいわく、「たとい弥陀に帰命すというとも、善知識なくは、いたずらごとなり。このゆえに、われらにおいては善知識ばかりをたのむべし」と云々。これも、うつくしく当流の信心をえざるひとなりときこえたり。そもそも善知識の能というは、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」と、ひとをすすむべきばかりなり。これによりて五重の義をたてたり。一には宿善、二つには善知識、三つには光明、四つには信心、五つには名号。この五重の義成就せずは、往生はかなうべからずとみえたり。されば善知識というは、阿弥陀仏に帰命せよといえるつかいなり。宿善開發して、善知識にあわずは往生はかなうべからざるなり。しかれども、帰するところの弥陀をすてて、ただ善知識ばかりを本とすべきこと、おおきなるあやまりなりとこころうべきものなり。(二帖目第十一通)


と、「善知識ばかりをたのむべし」「ただ善知識ばかりを本とすべきこと」は、大変な間違いであると仰っています。無条件服従するのは善知識ではなく、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」の阿弥陀仏であります。これが浄土真宗であり、蓮如上人の教えられたことです。
阿弥陀仏に無条件服従するためには、善知識に無条件服従せよ、とは一言も仰っていませんので、善を捨てるために善をせよ、と全く同じトリックです。

信心決定に最も大事な「阿弥陀仏に帰命(無条件服従)する」を、「善知識に無条件服従する」と無条件服従の対象をすり替えてしまっては、万劫の間求めても信心決定などできる筈がありません。向くべき方向が違うのですから。

なぜ、こんなにはっきりした善知識だのみの異安心を更に強調して親鸞会は教えているのか。
常識では考えられない邪義ですので、こんな邪義を説く人物が善知識でないことは、今更説明するまでもありません。
高森会長の目的が、会員の信心決定とは別にあるとしか言い様がありません。

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No title

蓮如上人が「ワシに無条件服従せよ」と教えられたことについて、強い違和感を抱いておりましたが、親鸞会の捏造だったのですね。
高森会長が、「ワシに無条件服従せよ」と教えているのは明らかですが(「会長先生の御指示に無条件で従い…」の聖則は、会長の指示で読ませているそうですからね)、自分の行為を正当化するために、あえて捏造したのでしょうか。

Re: No title

元会員A 様

高森会長の真意はわかりませんが、本当に蓮如上人のお言葉ではないと知りながら会の発展と自己満足のために利用した可能性が高いと思います。

なぜなら、善知識への無条件服従の根拠は、他にも列記していますが、すべて捏造だからです。

お聖教をなかなか読みこなせない人を騙す、巧妙に仕組まれたトリックではないでしょうか。

No title

管理人様

さっそくのお返事ありがとうございます。
親鸞会は「無条件服従」を叫びながら、親鸞聖人のお言葉に無条件服従せず、本尊の取り返し、一切衆生必堕無間の捏造等々、好き放題やっているのは滑稽ですね。

Re: No title

元会員A 様

本文でも書きましたが、無条件服従すべき対象を間違えたら、絶対に助かりません。それを捏造、改竄、断章取義を駆使しても、それに気が付く人が僅かで、トリックを伝える手段がなかった時代は通用しても、現代は通用しません。

お山の大将ごっこも、終りにしてもらましょう。

自分の恩師の伊藤先生や伊藤先生のつくった会をなじるクセに、S会や自分を批判した人は人間扱いしない、どっかの会長の人格が疑問です。

Re:

o(*゜ё゜*)o 様

そういう人格なのでしょう。ネジ曲げられた教義も、その人格の賜物でしょうね。

No title

親鸞会に関わっている学生です。

この項目について、講師の方から伺ったことはありますが、いずれの講師の方も「これを一見したらいかにも『これだからカルトは・・・』と思うでしょう」と前置きして、「実は、そうではない」と、話を進めてらした記憶があります。

自分は、この文に関する講師の方の説明から、「だから親鸞会、高森先生に教義の如何を別に盲目的に従え」というようには、明らかに教わりませんでしたし、今でも、講師の方を始め、関係者の方に対しては、このサイトを始めとした、親鸞会の教義に対する批判サイトを基に、率直に質問をしています。

その回答は適宜いただいています。合点のゆくものです(批判は覚悟の上ですが、私は教学に浅いので、素人による誤解を招く可能性がある以上、その回答の詳細を記すことはご勘弁ください)。

言いたいことがあります。

私は、親鸞会から何ら所謂カルト的な盲信を強要されたことはありません。

もちろん、その上で、無学な私ですが、無条件服従の件も理解できます。それだけ、善知識が尊いということを強調されてのことでしょう。

これも、もちろん、一向専念無量寿仏の上です。善知識をたのむのではなく、弥陀をたのむことも承知しています。

(ちなみに、「一切衆生必堕無間」についても把握しています。これは、確かにこの文字通り、経に無いことに関し、同調し得ますが、経の内容はこの通りであると思うので、有効な批判には当たらないと解します。)

このサイトは、確かに、無学な私にとって、教学をさらに深化させる縁となっていますが、それでも特にこの項目については、親鸞会に対するうがった見方が過ぎます。

親鸞会を批判するために、御文章の正当性まで疑うようでは、真宗門徒としては本末転倒なのではないでしょうか。

もっとも、文章の正当性を論じてしまえば、それは大乗非仏説論から、そもそも一切経自体の正当性(経は釈尊自身が記したものではない)にまで、対象が広がり得るので、仏教・真宗を学ぶ上では、どうしても不毛な主張にも思えます。

Re: No title

親鸞会被害家族の会というものがあるのを御存知でしょうか?
親鸞会では本願寺がでっち上げた会と言っていますが、現実に親鸞会で被害に遭った人が何万人といて、それを問題視して活動しているのです。
週刊誌やテレビでも取り上げられている問題の山積した団体です。
内部にいると分からないものです。あれだけの大事件をおこしたオウム真理教でも、自分達はカルトではないと信者は堅く信じていました。

御文章の正当性を認めないのは、親鸞会ですよ。私は認めて書いているのですが、理解できないのでしょうか。

教義についてあまり詳しくないようですが、では詳しい講師をここへ呼んできてください。
いつでも公開法論致します。

これまでに多くの法論がなされ、親鸞会がすべて敗北していることを御存知ないでしょう。

お知りになりたければ、「飛雲」というブログにすべて書いてありますので、そちらで確認されては如何でしょうか。以下は一昨年の法論の内容です。


法論の結果。2番目のmixiでの法論は、高森会長がこうへい氏(H田講師)を操ってのもので、惨敗逃亡の上、トピックごと削除して、法論をなきものとした。

1.飛雲(誡疑讃) http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-d48e.html
飛雲氏 VS M野氏 > M野氏が論点ずらしの末、議論を放棄

2.[mixi]三願転入トピック(三願転入) http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=51573620
sutybi氏 VS こうへい氏 > こうへい氏がsutybi氏を強制退会させ、後に議論を放棄

3.飛雲(方便) http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-2c3a.html
飛雲氏 VS M野氏 > M野氏が論点ずらしの末、議論を放棄

4.飛雲(化土往生・二種深信) http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-c51e.html
元会員 VS O倉氏 > O倉氏が論点ずらしの末、議論を放棄

5.飛雲(定散の諸機) http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-f7c4.html
飛雲氏 VS M野氏 > M野氏が論点ずらしの末、議論を放棄

Re: No title

6.飛雲(化土往生) http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-cfb0.html#comments
飛雲氏 VS M野氏 > M野氏が論点ずらしの末、議論を放棄

7.飛雲(19願・化土往生・逆謗) http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-7f61.html
元会員 VS M浦氏 > M浦氏が議論を放棄

8.飛雲(真仮) http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-6df9.html
飛雲氏 VS M野氏 > M野氏が議論を放棄

9.飛雲(善悪の凡夫) http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-eb89.html
飛雲氏 VS M野氏 > M野氏が議論を放棄

10.飛雲(必堕無間・逆謗闡提) http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-8073.html
飛雲氏 VS M野氏 > M野氏が議論を放棄


それ以外にもたくさんあります。
最近の話では、関東学生の責任者であるK講師が「飛雲」の管理人と法論をすると会員にいいながら、実際には逃げ回っています。

高森会長自身が逃げ回っているのですから、仕方がないでしょう。


ですから、もう一度言います。もしあなたが教義に詳しくないのであれば、詳しいと自負する人物、会長がベストですが、ここへ連れてきて公開法論をしましょう。

No title

説明が長く分かりにくい。項目別ではなく、一言で言って何が問題なのか、簡潔に説明して欲しい。

No title

コメントを見るのが遅くなりまして、申し訳ありませんでした。

一言で言えば、善知識への無条件服従ということを親鸞聖人も仰っていないし、蓮如上人も仰ったことはない、です。

しかし親鸞会では、獲信には善知識への無条件服従が必要と言います。


親鸞会講師部員聖則

一、会長先生のご指示に無条件で従い、信心獲得を本と致します。
一、上司の指示は会長先生の命と心得ます。

職員も同じだと聞いています。

一般会員にはそこまで言いませんが、高森会長の説法の中では、過去に何度も強調してきたことです。

それが全くのデタラメである、と言いたかったのです。

御理解いただけましたか?
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