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2009-07-30

親鸞会は諸行往生2

【質問】
下記の書き込みを読んで、困っています。
誰か解説してください!

535 :神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 12:21:35 ID:aFbNIyl5
今回の講師試験の問題

Q、「諸行往生」とはどんなことか、一言で書け。また、それは正しいか、間違いか、答えよ。

A、諸善をすれば善のできない自分が知らされて救われるということで、間違い。
  例として、
  親鸞聖人の20年間の比叡山での御修行で、機の深信が知らされたという邪義。
  19願の入り口にも入っていない講師部員や、30年、40年求めたくらいでは
  分からないと教えられ、親鸞会の会員は、この世では救われないから、親鸞会の
  求道は遠生の結縁と考えている邪義など。

  この世で救うという18願ではないので、明らかな間違い。

  参考までに、
  精一杯の財施をしなければならない、とか、善知識に絶対服従せよなどは、
  諸行往生でもない、カルトの教え。



【回答】
これは、体失不体失往生の諍論についての内容です。
『口伝抄』に法然上人のお言葉があります。

念仏往生は仏の本願なり。諸行往生は本願にあらず。念仏往生には臨終の善悪を沙汰せず。至心信楽の帰命の一心、他力よりさだまるとき、即得往生住不退転の道理を、善知識におうて、聞持する平生のきざみに治定するあいだ、この穢体亡失せずといえども、業事成弁すれば、体失せずして往生すと、いわるるか。本願の文あきらかなり。かれをみるべし。つぎに諸行往生の機は、臨終を期し、来迎をまちえずしては、胎生辺地までもうまるべからず。このゆえに、この穢体亡失するときならでは、その期するところなきによりて、そのむねをのぶるか。第十九の願にみえたり。勝劣の一段におきては、念仏往生は本願なるについて、あまねく十方衆生にわたる。諸行往生は、非本願なるによりて、定散の機にかぎる。本願念仏の機の不体失往生と、非本願諸行往生の機の体失往生と、殿最懸隔にあらずや。いずれも文釈ことばにさきだちて歴然なり。


諸行往生は、体失往生です。19願の諸善を実践することによって、助かろうとするものです。

親鸞会で教えていることは、19願の実践です。19願を実践しようとする人は、どうなるでしょうか。
会長は講師部員に対して、「19願の入り口にも入っていない」といっています。
また説法の中でも、「30年、40年求めたくらいでわかるものではない」ともいっています。
当然なことです。19願で誓われた善を実践できる筈がありません。至心で善ができますか?
善をしてはじめて、善のできなかった自分が知らされるといいますが、最初から答えの分かっていることが、実践できますか?

それで、講師部員をはじめ、会員はどう考えているか。
臨終に観世音菩薩の説法にあって、救われることを期待している人はましな方で、大抵の人は、次に人間に生を受けた時、あるいは、次の次で救われればいいだろう、つまり遠生の結縁になればいい、と思っている人ばかりです。今生で救われるとは、誰も思っていません。19願の入り口にも入っていない、30年、40年求めても分からないと言われれば、そう思うのも無理はありません。

法然上人は、我々凡夫は諸善のできないものであるから、往生の妨げになる諸善を捨てよ、とまで仰っておられます。言い換えれば、19願を捨てて、18願を信じよ、ということです。19願を捨てるために実践するというのは、会長のトリックです。

会長は、我々にできない19願の善を実践させることで、18願の念仏往生とは別の方向に進ませているのです。だから、会長の身内も、側近も救われないのです。

法然上人の仰った諸行往生とは、親鸞会の会員のことです。

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