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2009-08-20

一切衆生は必堕無間なのか8

善知識をおろかにおもい、師をそしるものをば、謗法のものともうすなり。親をそしるものをば、五逆のものともうすなり。


という『末灯鈔』のお言葉を挙げて、全ての人は、謗法罪、五逆罪の者であるから、一切衆生は必堕無間である、と親鸞会では説明していますし、私の書いたものに対しての親鸞会内部での反論としているようです。また、善知識に従わないのは謗法罪であるとして、善知識への無条件服従の根拠ともしてるようです。

しかし、これは大きな誤りです。以下にそれを説明します。

まず、このお言葉は親鸞聖人が関東の同行に宛てたお手紙の一部です。親鸞聖人は、関東の同行に対して仰りたかったことは、後の文章を読まれればわかります。


善知識をおろかにおもい、師をそしるものをば、謗法のものともうすなり。親をそしるものをば、五逆のものともうすなり。同座をせざれとそうろうなり。されば、きたのこうりにそうらいし善証坊は、親をのり、善信をようようにそしりそうらいしかば、ちかづきむつまじくおもいそうらわで、ちかづけずそうらいき。明法の御坊の往生のことをききながら、そのあとをおろかにもせんひとびとは、その同朋にあらずそうろうべし。


この部分を訳してみますと、


善知識をおろそかに思い、師を謗る人を、謗法の者というのです。親を謗る人を五逆の者というのです。このような人とは同席をしてはいけないといわれています。ですから、北の郡にいた善証房は、親を罵り、親鸞を様々に謗っていましたので、親しく接しようとは思わずに、近づけないようにしていました。明法房の往生のことを聞きながら、その遺志をおろそかにする人々は、同朋ではありません。


このようになります。
謗法罪の人、五逆罪の人とは親しくしてはいけないと教えられていますから、謗法罪、五逆罪を犯していた善証房を遠ざけていました、と親鸞聖人は仰っているのです。
このお言葉に近い内容として、同じく『末灯鈔』に


この御なかのひとびとも、少々はあしきさまなることもきこえそうろうめり。師をそしり、善知識をかろしめ、同行をもあなずりなんどしあわせたまうよしきこえそうろう。あさましくそうろう。すでに、謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず。『浄土論』(論註)ともうすふみには、「かようのひとは、仏法信ずるこころのなきより、このこころはおこるなり」とそうろうめり。また、至誠心のなかには、「かように悪をこのまんひとには、つつしみてとおざかれ、ちかづくことなかれ」とこそ、おしえおかれてそうらえ。善知識・同行にはしたしみちかづけとこそ、ときおかれそうらえ。


とあります。このお言葉も、関東の同行に宛てたお手紙の一部です。訳してみますと、


皆さんの中にも、少々悪い噂が聞こえてきます。師を謗り、善知識を軽んじ、同行を貶めあっていると聞いています。浅ましいことです。こんな人は、すでに謗法の人であり、五逆の人です。親しく接してはいけません。『浄土論註』という書には、「このような人は、仏法を信ずる心がないから、この心が起こるのだ」と書かれています。また、『観無量寿経疏』の「至誠心釈」の中に、「このように悪を好む人には、慎んで遠ざかれ、近付いてはならない」と教えられています。善知識・同行には親しみ近づきなさいと説かれているのです。


となります。
これらのお言葉から、かつて親鸞聖人から直接話を聞いていた関東の同行の中に、謗法罪、五逆罪の者がいるから、彼らに近付くな、と仰っていることがわかりますし、このような恐ろしい悪を慎むように誡めておられます。もちろん謗法罪、五逆罪を犯していない同行がいる前提で仰っていることは明らかです。以前にも述べました『教行信証』信巻の謗法罪、五逆罪の解釈は、『末灯鈔』でも同じです。曇鸞大師、善導大師の謗法罪、五逆罪の解釈をそのまま引用されているのです。
ですから当然のごとく全ての人が謗法罪、五逆罪を犯しているという意味合いで、親鸞聖人は仰っていません。
前後を読めば、謗法罪、五逆罪の人とは、一部の人という意味にしか解釈できません。

ところが断章取義で解釈することで、意味がまるっきり変わってきます。親鸞聖人が如何にも一切衆生必堕無間を教えられたかのように偽装しようという意図が見え見えです。

親鸞会は陰でこそこそと反論して、会員を騙すことだけに専念しているようで、私の書いたものに正面から反論してきたことはただの一度もありません。


善知識をおろかにおもい、師をそしるものをば、謗法のものともうすなり。親をそしるものをば、五逆のものともうすなり。


親鸞聖人が、どんなお気持ちでこのお言葉を書かれたのかを無視して、このお言葉を一切衆生必堕無間の脅迫の道具として用いることは、断じて許されないことです。親鸞聖人の教えをネジ曲げて謗法罪を造り続ける者は、完全に悪知識です。
そんな悪知識をおろかにおもい、謗っても、謗法罪にならないのはいうまでもありませんが、善導大師や親鸞聖人が仰るように、「かように悪をこのまんひとには、つつしみてとおざかれ、ちかづくことなかれ」です。悪知識から離れることが、親鸞聖人の御心に叶うことなのです。

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Re: No title

有難うございます。
参考にさせて頂きます。
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