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2009-08-01

親鸞会は諸行往生13

法然上人が諸善を廃して念仏一行を立てられたこと、そのことによって聖道諸宗からの激しい非難があり、承元の法難が起きたこと、その聖道諸宗の非難に対する反論書が『教行信証』であったこと、更には『教行信証』化土巻で何を教えられているのかをこれまで述べてきました。
歴史的背景を踏まえられれば、『教行信証』化土巻でしか仰っていない三願転入の意味も御理解頂けると思います。

なお、奇しくも「21世紀の浄土真宗を考える会」で、同じテーマで述べられていますので、そちらも併せて読んで頂ければ、この後の部分がより分かりやすくなると思います。

「21世紀の浄土真宗を考える会」
浄土三部経と三願



18願、19願、20願は生因三願といわれます。衆生が浄土に往生する因について3通りあると親鸞聖人は解釈なされているのです。三願はそれぞれ独立したものということです。
生因三願と往生、『教行信証』の関係は以下の通りです。

18願──他力念仏往生(報土往生)──『教行信証』真仏土巻
19願──自力諸行往生(化土往生)──『教行信証』化土巻
20願──自力念仏往生(化土往生)──『教行信証』化土巻


また浄土三部経と生因三願の関係については

『大無量寿経』──18願意-他力念仏往生
『観無量寿経』──顕説(方便)19願意-自力諸行往生
         └─隠彰(真実)18願意-他力念仏往生
『阿弥陀経』──顕説(方便)20願意-自力念仏往生
        └─隠彰(真実)18願意-他力念仏往生


となります。
これまで繰り返し述べてきたように、親鸞聖人は19願、20願を誡めておられます。真仮廃立の教えです。これは、「雑行雑修自力のこころをふりすてて」と仰っている蓮如上人と同じ意味です。
親鸞聖人、また蓮如上人当時でも、聖道仏教が中心であり、聖道諸宗から、善を勧めないとは何事だ、との激しい非難があったのです。非難どころか迫害を受けるほど、当時の仏教界において法然上人、親鸞聖人の教えが異端と看做されていたことはご存知の通りです。

いつもの元会員さんがコメント欄で紹介されていました高森会長の教え

●はずがない(雑行)
 善行をやっていない人に、
「これだけ善をやっているのだから、死んでも悪い処へは行かないだろう」
(こんな心でやっている善行を雑行と言う)
などと言う心があるはずがない。
 そんな心のない人に
「その心(雑行)を捨てよ」
 といわれるはずもない。
 ないものを捨てよ、と言われるはずがないからである。
 善行をやっている人にのみ、雑行といわれるものがあるのである。


これでいうならば、仏教とは善を勧めたものである、というのが当時の常識中の常識でしたので、その考えが間違いであるから、獲信のためには雑行を捨てよ、と親鸞聖人、蓮如上人は教えられたのです。
同様に

●はずがない(雑修)

朝晩キチンとお勤めをし念仏称えていない人に、
「これだけ朝晩チャンとお勤めをし、これだけ念仏称えているのだから、死んでも悪い処へは行かないだろう」
(こんな心でやっている念仏を雑修という)
などと言う心があるはずがない。
こんな心のない人に
「その心(雑修)を捨てよ」
と言われるはずもない。
お勤めをチャンとし、念仏称えている人だけに雑修と言われるものがあり、また、雑修が廃ったということがあるのである。


これも、せっかく浄土仏教を信じながら、念仏を取り違えて自力念仏に留まっている人ばかりでありましたので、親鸞聖人、蓮如上人が20願、雑修を捨てよと仰ったのです。
時代背景を考えれば簡単に分かる非常に程度の低いトリックです。


また一方で親鸞聖人は、三願を従仮入真とみられているところがあります。
以前紹介しました『教行信証』化土巻・要門釈


しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといへども、真なるものははなはだもつて難く、実なるものははなはだもつて希なり。偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋し。ここをもつて釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまふ。


とあります。19願とは、此土での修行成就を断念した聖道門の人に対して、浄土を欣い慕わせるために建てられた権仮方便の願と解釈されています。聖道仏教から真実18願へ調機誘引させるために、しばらく用いられるものであって、機が熟すれば廃して真実へ入れさせるということです。しかし19願に留まっていては化土往生しかできないので、親鸞聖人は19願を勧められることはなく、報土往生の18願に帰入せよ、とばかり仰っているのです。
それを親鸞聖人の体験を通して仰ったのが、三願転入の文なのです。
これも前々回紹介した三願転入の文の直前にある真門決釈


悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆゑに、出離その期なし。みづから流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。おほよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉号をもつておのれが善根とするがゆゑに、信を生ずることあたはず、仏智を了らず。かの因を建立せることを了知することあたはざるゆゑに、報土に入ることなきなり。


と親鸞聖人は仰り、阿弥陀仏が権仮方便をもって18願へ導かれた御恩を知らされ、長く方便の教えに迷っていたことを懺悔なされたのです。個人的なことを一切語られなかった親鸞聖人が、御自身のことを仰った唯一のところが化土巻です。
それは、自力で往生できるに違いないと堅く信じて、他力念仏での往生を願おうとしていない人に対して、早く方便を捨てよと御自身の体験を語られてまで厳しく誡められたのです。

以上のように歴史的背景と化土巻の流れからいえば、正しい従仮入真とは、高森会長のいう18願に入るためにまず19願から始めよと仰った意味である"はずがない"です。

『御消息集』では、関東の同行の中で造悪無碍の邪義が蔓延り、それを誡められたものが数多くみられます。親鸞聖人が関東で、19願や命懸けの修善を勧められていたとしたならば、このような邪義が蔓延る"はずがない"です。

七高僧方が、外道、小乗仏教、聖道仏教と迷われて、最後18願に帰入された体験から、外道、小乗仏教、聖道仏教から出発しなければ、方便が方便と知らされないと七高僧方が教えられる"はずがない"のと同じです。

『御一代記聞書』にある


前々住上人へ、ある人、申され候う。開山の御時のこと申され候う。「これは、いかようの子細にて候う」と、申されければ、仰せられ候う。「われもしらぬことなり。何事も何事も、しらぬことをも、開山のめされ候うように、御沙汰候う」と、仰せられ候う。(百五十九)


の文をもって、何事も何事も親鸞聖人のなされた通りにしなければならない、と語っている高森会長とは一体何者か。

一切衆生必堕無間も、善知識への無条件服従も、獲信のための善の勧めも、親鸞聖人と真逆のことを教えながら、よくもぬけぬけとこのようなことが平気な顔して言えるものです。

親鸞聖人を信じて報土往生を遂げるのか、高森会長を信じて地獄に堕ちても後悔しないと言い続けるのか。

判断するのは自分自身です。

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No title

(高森会) 12月15日 http://www.shinrankai.net/2009/12/sat-2.htm に

「蓮如上人仰せられ候、『方便を悪しということは有る間敷なり。
 方便を以って真実を顕わす廃立の義、よくよく知るべし。
 弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をば獲ることなる』由、
 仰せられ候と云々」

                蓮如上人『御一代記聞書』177

とあります。
これは、善巧方便のことです。
権仮方便ではありません。
確信犯ですね。
なにも知らない会員をだますつもりです。

Re: No title

世親菩薩(てんじんぼさつ)様

会員さんには、以下を読んで頂きたいです。

「21世紀の浄土真宗を考える会」
方便といふこと 3
http://kondoutomofumi.blog121.fc2.com/blog-entry-136.html

方便についての、蓮如上人御一代記聞書の言葉を示します。
引用:蓮如上人聞書新釋(梅原眞隆著 本願寺 ISBN4-89416-438-8)
但し、原文は真宗聖典註釈版によります。

(176)
 蓮如上人仰せられ候ふ。方便をわろしといふことはあるまじきなり。方便をもつて真実をあらはす廃立の義よくよくしるべし。弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をばうることなるよし仰せられ候ふと[云々]。
(註釈版聖典 1286頁)

【意訳】
 蓮如上人は仰せられた。
 世間では嘘も方便などといいふらすところから、方便を悪いことのようにおもいなすものもあるが、かかる間違いはあってならないことである。
 方便には権仮方便もあり善巧方便もある。
 まず、権仮方便ということについていえば、方便という権仮(かりもの)を設けて真実を顕す手段にする、さらに真実を顕したなら、方便を廃して真実を立てることであるが、ここに方便の値打ちがあるので、方便は悪いとおもうてはならないのである。
 次に善巧方便ということに、ついていえば弥陀釈迦二尊はいうまでもなく、次第相承の善知識がいろいろと善い巧みなお手廻しをなされて、私どもをみちびき、真実の信心を獲得させてくださるのである。

【解説】
 つねに仰せられる方便ということについて世俗の曲解を是正して、方便の正しい意識と価値を示されてある。
 そして方便を権仮方便と善巧方便のふたつの立場から解釈なされてある。
 「方便をもつて真実をあらはす廃立の義」とあるは権仮方便の意味であり、
 「弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をばうる」とあるは善巧方便の義意である。

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Re: タイトルなし

了解しました。
これまでのところは、会長の教義の根本的なところを述べたつもりで、その意味でほぼ完結したと思っています。
会員向けでもありますが、メインは会長向けの論文を想定していました。

年末は多忙のため時間がとれませんが、来年に新たな項目を立てて書いてみようと思います。


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Re: タイトルなし

喜びを分かち合いたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。

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18願を疑っている者は・・・

 はじめまして。数年前から仏教を学んでいる者です。親鸞聖人があくまで18願の救いを勧めていかれたことがよく分かりました。有り難うございました。

ここまで読ませて頂いておりながら恐縮ですが、私は未だに18願への疑いが晴れずにおります。そういう者はこの先どうすればよいのでしょうか。

聞かせて頂きたく思います。宜しくお願い致します。

No title

りくとう 様

私たちには、報土に往生できるような力は何もありません。それで阿弥陀仏が私たちに成り代わられて御修行なされ、報土往生の因を私たちに与えてくださいます。
それをそのまま受け取るだけです。

浄土真宗の教えは、それ以外には何もありません。
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